知らないよ。

不安に押し潰されながらもなんとか生きてます。

過去の話や日常話してます。詳しくは自己紹介に。最近ご飯作ったの載せてます。
みなさん情緒不安定な私となかよくしてくれありがとうございます。

嫉妬、やきもち、

優しい彼がいる

普通の家庭で育った

私と比べてしまった






彼は普通に学校に行き高校で初めて彼女ができ

た。

私は家庭環境と教室の雰囲気が嫌で行けなかった。

好きな人もいた。大恋愛かわからないけど

告白もしたとき

気になっている人がいるんだ。鏡を見ればわかるよと。


まだお互い話したりしてないから付き合うのは先にしようと

真面目な方だった。

でもわたしは学校に行けなかった。

心配のメールも来た

でも悲しくて大丈夫だよとだけメールし削除した。

中学にも行けなかった私はまた高校もいけないのかと

悲しかった


人生みんな人それぞれだけど




大好きな人がお互い初めての相手なんて幻想抱いちゃダメなの?


誰も来ないでよ見ないでよ

私を見てよ

誰でもなくあなたに愛されたい

嫉妬しないよう考えないようにしてる

羨ましい


彼に話したらもう終わったことだからと

おれは私と付き合ってからが青春だと思ってる。

私と一生を添い遂げたいと決めていると言われた。



ほかにも沢山言ってくれた優しい人が沢山いるのに私は寂しいという私は


なんなんだろう。


孤独と孤立。


きっと幸せなはずなのに彼が羨ましい

いろんな経験をして出会えた私だからと

そんな普通に言わないでよ

私にはわからないよ

ふざけてるの

悲しいよ


そんな普通に笑わないでよ

私には幸せは似合わないとおもってるのに

私はいない方がいい

生まれちゃいけなかった

なんで

そんな悲しまないでよ


分からないよ

分からないよ

分からないよ

分からない

分からないよ



自分を許し愛せない

醜く生きる残像だ

朝から涙が止まらない


幸せがわからない

這い上がりました

牛歩でも歩くんだ


自分を許せる人間

自分を愛せる人間


にならないと

人のこと愛せないな。


愛せても欲ばかりだな


生まれてきたんだから

わたしの人生わたしできめて生きるよ

生まれて来なければよかった

生まれて来なければ良かった


母親が頑張って産んだのに


幼少期は家族にひどいことをされ

生きてる意味がわからなかった。

何が好きや楽しいもわからず

ただひたすらに絵を書いていた。


おじいちゃんには殴られ

痛みも感じなかった

おばあちゃんは暗い話を毎日朝から就寝まで聞かされ、聞きたくないと否定したら

おばあちゃんは私のことが嫌いなのね、私は嫌なのねと。罪悪感をただよわせる。

お母さんは私を産んでかその前からうつ病になった。

おばあちゃんが可哀想な人なんだなと母は話を聞き続け会社に行きながら帰ってもおばあちゃんの話を聞かされ

日曜日お母さんは寝ようとしたら

おばあちゃんが私の話を聞かないのねと寝かせないよう母の近くをわざと掃除機をした。

お母さんも私が邪魔だったのに依存してきた

私の部屋はなくドアを全部開け私が見れるところにパソコンや机を置いていた。

私がひきこもれないように。

深夜2時に突然起こされ生きてるの!?死んでるの!?

と。

母は出合い系サイトで出会った男を呼んでは私に暴言を吐いた

ただお皿を割っただけお母さんこの料理の味は苦手と言ったら

必ず知らない他人が入り私を責めうつ病の親になんてこと言うんだと怒鳴られる日々。

私は言葉を無くした。

絵もずっと笑ってる絵にしてね。と

だからずっと笑ってる絵ばかり書いていた時期もあった。お母さんが悲しがるから。

私は母の機嫌や気持ちを察して言動をとらなければならない人形。

母がまた出合い系サイトを使うのに対し

私は携帯を取ったら首を絞められた。

でも母は愛してるわよといった。

私がそれに応答しないと

なんであなたも言わないの?と。

お母さんは遊んでいたい人だった

転んで助けてくれた人を彼氏にしたり

金をもらうひとを選んだり

どんな性行為をしたかを聞かされた。


母は末っ子で2番目の姉は反面教師3番目の姉はヒステリックで元パニック障害。

今もかな。

長女と一緒にでかけると

私が太り出したのか

レストランで太り過ぎなのよとどなりちらされ

ほかの家族は聞いてみぬふり。

長女がこれいいんじゃない?と言った服をきたら

似合わないからかみてみぬふり。

長女は昔美人だたから地球は私の周りを回っているのよ状態。


次女は私の顔が気に入ってるのかかわいいねと。

でも自分の子供には

顔が整ってないからと言い

ぶすぶすと言っていた。


お母さんや家族は

会話という会話がなかった

いつも人目を気にし

そして隣の人を指さしこの人ブサイクだからきっと性格も悪いわねと。そんな会話だけ。

お母さん含め三姉妹で話し始め

それを聞いた隣の人が不機嫌になり立ち去るときにごめんなさいと私は謝っていた。

そんなのが保育園からかあった。


次女の車に乗り私が車酔いするの分かっているのに母に吐きそうだから止めてもらえる?なにか袋は?と聞いても我慢して?と。


そして吐いてしまい急遽近くの公園に。

水を含ませ苦しがる私に次女は

お前がいるから汚くなっただろ

とかいろいろ言われマシだがもうその頃には言葉自体がトラウマすぎて聞く耳がもうありませんでした。

悲しすぎて泣きました。

そして次女は満足げににんまりしていました。

毎日家族には私がストーカーにあった際もこっちに迷惑をかけるな!と怒鳴られた

駅前でおじいちゃんに殴られても家族は誰も助けず見るだけ。いとこの同年代が虐待だ虐待だとさけんでいた。



まだあるけどもう疲れた


なんで生きているんだろう